彼女に出会って、幸せは、時に人の形をしていることを知った。
陽だまりの花




頭上にかかっていた雲が風によって押し流され、すっと一筋の光が真横を走るのに気付き、青年は顔を上げた。

まだ空を覆う雲のところどころから淡い光が零れ落ち、美しい筋を描いて地上へと降りてくる。
幻想的な風景の向こう側から晴れ間らしきものが徐々に広がっていこうとしている。この分ならば、傘も必要ないだろう。
以前から決めていたこととはいえ、無理矢理空けたスケジュールだから、準備などろくにできなかった。手にしているのは彼女が好んだ花束だけで、当然ながら傘など持って来ていない。
まるで自分が来ることをわかっていたかのようなタイミングだ。
かつては一度として降り立つ必要性も感じていなかった月の大地に立ち、青年はふっと口元を緩ませた。
ここから目的の地まではそう遠くない。
思いつくと同時、シャトル内ではどうにも気恥ずかしかった白い花束を肩から降ろして両手に抱えなおす。
そんなことをせずとも喜んでくれるのだろうが、彼が形式に則ると慣れない相手は照れた顔を隠せなくなる。
そのくせ負けず嫌いでもある相手は、頬に赤みをさし愛らしい唇を尖らせ拗ねたよう上目遣いに自分を睨んでくるのだ。幼い仕草は、細く儚げでばかりある印象に、年相応の、眩しいほどの生気が宿らせるから。
一度として口にしたことはないが、酷く愛らしい彼女の純真な反応を見ることが彼は好きだった。


彼が柔らかな日差しを受け芝の緑が輝く場所へ辿りついた時、前方にあった影が気付いた。
「イザーク」
「…久しぶり」
驚いたような声に続いて、お前も来てくれたのか、と。
苦笑を刻む顔から僅かに目を逸らす。毎度のこととはいえ、どうしてこう重なってしまうのか。
毎年のことだから彼女は別にいいとして、もう一人については予想外。今更何を言いたいわけではないが、どうにも複雑な気分になってしまう己は隠しきれず、イザークは深い溜息を吐いた。
「…毎年思うが、お前は俺の来る時間がわかるのか?」
思い返してみると、訪れる時間は実に様々であるにも関わらず、これまで一度としてこの日訪れて彼女に出会わなかった日はない。
カガリ、と。
言い添えれば、何故か得意げな顔が返る。隣にある男にいたっては苦笑が深まった様子。
「私がそんなストーカーじみたことすると思うか?」
「…それにしてはいつも会うだろう」
「まあ、決めてるからな」
「何を?」
「決まってるだろ、今日という日は、1日中ここにいるってことをだよ」
軽く目を見張ったイザークに、カガリは胸を張って続ける。
「普段は忙しくてなかなかこられないからな。今日一日くらい、一緒にいるって決めてるんだ。それで、ここに来てくれる奴ら全員に礼を言うんだ」
いくら平日でないとはいえ、通常に仕事を持っている彼女とて暇持て余しているわけではないだろう。ましてや今日は日曜だ。彼女が住む地球と月とでは移動だけでも時間がかかり、夜までここに居座ったりでもすれば、月曜の朝には間に合わないに違いない。
それでも、今日だけは何の用事も入れず開け放しておくのだと口にするカガリに、想いの深さを垣間見るような思いがする。
イザークが思わず注いだ視線にさっぱり笑み、カガリはトパーズの瞳を細めた。
「ありがとうな、イザーク」
「…別に、礼を言われるようなことじゃない」
「いや、だってお前、毎年欠かさず来てくれるじゃないか。さっき管理人に聞いたけど、今日じゃなくても来てくれることあるんだろ?」
「…そうなのか?」
傍らから小さく落とされる驚くような声に、イザークは内心舌打った。
「…お前のためじゃない」
小さな呟きは2人に届くようなものではなく、気付かなかったカガリは、造作なくイザークに近寄り彼の手の中を覗き込む。
「おー…見事に真っ白だな。いつものこととはいえお前も白いし…なんか、嫁に来たみたいだよな」
「な…っ誰が嫁だ!!」
上品な白いスーツに身を包んだイザークを揶揄る、そういうカガリも、少々かしこまったパンツスーツだ。ただし色味は控えめで、2人のやり取りを見守る青年が纏うも色味押さえた黒のスーツである。
勢い込んだイザークにも動じず、カガリは眉根を寄せて腕を組む。
「しっかし…それでシャトルに乗れるところがお前だよな。うん。あいつもその辺で同意してんじゃないか?」
「お前な…っ」
憤りを溜めるイザークに、しかしカガリは道を空け、イザークの前方に手を伸ばした。
「約束なんだろ?…喜んでるよ、きっと」
いや、絶対に。
言い換えて促され、言い返すタイミングを失ったイザークは、眉根を寄せて大股に足を動かした。

傍らに立っていた青年には目もくれず、真直ぐ進む先には、ひとつの小さな墓標。

今日ばかりは溢れんばかりの花に囲まれて、ひっそり在る石には、短い名前が記されている。
その場所にそっと手を伸ばしたイザークは、刻まれた名を指先で丁寧になぞった。
たったそれだけのことに胸が震えて、未だ締め付けられたような心地に襲われる。

消えていないことを、実感する。

彼らの見ている前で口にすることは難しいから、かける言葉はすべて胸の内へと落として。

イザークは、何者にも汚されない純白を蒼で束ねて、安らかな眠りに着く魂に捧げる。

中を彩る花々も、包装紙も、全て真白い花束。
それは、我儘らしい我儘など自分からは決して口にしようとしなかった彼女が、自分に託したたったひとつの戯れ。
無理強いしても微笑むだけだった彼女だが、あの日の約束を律儀にも守っている自分を見たら笑うだろうか。
揶揄の対象になるは本位ではないが、笑ってくれていたらいいと思う。

イザークは、相変わらず彼女に対してだけは真摯になる己の願いに苦笑が漏れそうになる。
胸の奥底、大切に仕舞い込んだたったひとつの輝きを取り出し優しく奏でた。


「―――…キラ」


お前が笑ってくれるなら、本当はきっとそれだけで。


イザークは貴公子然とした優雅な仕草で膝を折り、静かに瞳を閉じた。













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